「エルデンリング」をプレイしていると必ずと言っていいほど聞くことになる「黄金律」という言葉。キリスト教の「黄金律」とは違う意味です。
ゲーム内で「黄金律」の全てをハッキリ解説する記述は無く、登場人物の言葉や手に入れたアイテムから得られる断片的な情報を元に考察するしかありません。
そのため普通にゲームをプレイするだけでは理解が難しいのも事実です。
ゆえに考察勢の方にとっては大好物なのですが、考察が苦手な方もいると思います。
そこで今回は「黄金律」とはどういうものなのかを分かりやすく解説しようと思います。
黄金律とは
早速結論ですが
「黄金律」とは、黄金樹を介して行われる生の循環システムのことです。
「狭間の地」において、死を迎えたものは肉体も精神も黄金樹の元へ還り、黄金樹によって復活するのです。
死んでも復活する。「黄金律」によって死はこの世から存在が消えることではなくなり事実上の不死となりました。
「褪せ人」である主人公も「黄金律」によって敵に敗れても、高いところから転落死しても、毒沼で死んでも、元の姿で復活を遂げるのです。私も何度死んだか覚えていないくらいです。ありがたいことですね。
「狭間の地」にとって「黄金律」があることが正しいことであり、当然のことなのです。
本当に「黄金律」は正しいのか
エルデンリングの「黄金律」など無い現実世界を生きる私たちにとっては、死とは存在が無くなることです。
そんな私たちから見ると、「黄金律」による永遠の命を「当然」なんて思えないし「正しいこと」とも思えませんよね。
逆の目線から考えましょう。
エルデンリングの「狭間の地」で生まれた者たちからすれば、黄金樹によって死んでも復活するのが当たり前のことだと教えられてきて、死ぬと存在が無くなることなんて「あってはならない」ことだと思うようになるはずです。そんなことが起きれば異常事態なのです。
ところがその異常事態が起こり始めます。
「女王マリカ」によって黄金樹の力の根幹であるエルデンリングが砕かれてしまったからです。
これにより完璧だった「黄金律」は乱れ、死んでも復活しない者や、「死に生きるもの」という肉体が不完全な復活を遂げたせいでガイコツになったままの者も現れます。
このような事態を受け、エルデンリングを修復し「黄金律」を元の状態にするために「大いなる意志」から派遣されたのが私たち「褪せ人」です。
ところが、「褪せ人」の中には「黄金律」を修復することが本当に正しいのかと異を唱えるものもいるのです。
あくまで「大いなる意志」の思想は『「黄金律」のある世界が正しい世界だ』というものですが、「死が正しく存在することが世界のあり方じゃないのか」という考えを持つ者もいるのです。
「女王マリカ」も元々の「黄金律」に異を唱えたかったからエルデンリングを壊したという考えもできますよね。
多くは語りませんが、作中には「黄金律」によって「死ねない苦しみ」を背負う者も数多くいます。苦しいのに永遠の命のせいでその苦しみからも永遠に解放されないのも可哀そうな気がします。
まとめ
「黄金律」は素晴らしいシステムではありますが、万人にとって素晴らしいものではない様です。
「黄金律」をどうするのか、それは主人公である私たちが選択できます。
「大いなる意志」を信じて導きの通りに行動するのか、「大いなる意志」に背いてでも己の考えを貫くのかは貴方次第なのです。